金の卵 連続ブログ小説 №6

金の卵 連続ブログ小説 №6

 

戦後の経済は食べ物も仕事も無く都民は荒んだ毎日を送っていた。

親方は工員募集の張り紙を門の前に張った。

何人もの、応募は有ったが、経験者は少なく、見習いとして雇い教育する事にした。

其のやさき、親方は病の床に就いた。

親方は一人娘の婿として金三を向かえて板倉金三社長として再出発をした。

金三は貧しい農家に生まれたとは言え、食糧難の時代、色々なルートで食料を取り寄せ

親方の滋養に努力したかいもなく、この世を去ったのである。

 第二次世界大戦の傷跡は思ったより復興は早かったが、貧富の差は激しく、住む所は勿論食べる事の出来ない人の方がはるかに多かった。

地下道で寝起きする孤児、傷痍軍人の街頭での物乞い等少し減っていった。

三ノ輪板金は仕事も増え新卒者を雇い入れ此れからの戦力として育てる事にした。

その始めが佐藤清三であった。

社長の話も一段落したところで、先生は佐藤を連れて高校へ向かった。

定時制高校の先生に合い面接を受けた、予め受け取っていた編入願書と成績表を提出した。

先生は編入願書と成績表を見て確認した。

受験は地元の定時制高校の受験に合格している。編入試験は成績が良いので免除された。

成績は良いと言っても都会と地方では学力の差はあったが佐藤は郡を出ていた。

 戦時中都会から疎開して来た子供達は平均して賢かった。

関田先生は何故都会と地方の生徒の差が有るのか不思議だった。

都会の子は勉強熱心なのか、知能指数が高いのか、先生の指導が良いのか、ほぼ同じ教科書を与えているのに何故か。

地方の子は野山を遊び周り、家の手伝いをして勉強は宿題位しかせず、その宿題も忘れる子もいる。

通学も遠い子で歩いて一時間三十分掛かる生徒もいる。

 関田先生は今日の夜行で帰らなければ成らないので、駅に向かって歩いていた。

駅前の食堂に入り先生は佐藤にカツ丼を食べさせた。

佐藤はその味が一生忘れられない食べ物の一つになった。

改札口で先生は卒業式で校長先生の言葉忘れるなよ、と肩を叩いてホームに向かった。

佐藤は手を振りながら、胸の詰まるのを感じた。

大勢の生徒が居るのによく面倒を見てくれた先生に感謝して頭をさげ、上げた時は先生の姿は見えなかった。

会社は駅の近く、歩きながら校長先生の言葉を思い出し呟きながら帰った。

一に健康、二に真面目、三に初心を忘れるな。

何度も何度も呟いた。

呟いた言葉を自分で守ろうとしても、どうにも成らず忘れる事が来るなどと佐藤は知る術も無かった。

                  つづく