金の卵 連続ブログ小説 №5

金の卵 連続ブログ小説 №5

 

二人は会社の事務所に通された、応接室は無く事務机の横に応接セットが置かれてあった。

「始めまして、私が社長の板倉です」

「お世話に成ります。この子が佐藤清三です」と先生が紹介すると、元気な声で

「お願いします」と頭をさげた。

いろいろな話をしているうちに東北訛りが出てくるたびに心が開けた。

そして、板倉社長の生い立ちを簡単ながら聞くことが出来た。

板倉社長は盛岡の貧しい農家の三男で昭和十二年東京に来たと言う。

当時流行った口減らしと言う人も居たが、貰われたのでなく就職したのである。

会社は軍需品の生産工場で景気も良かった。

戦争が激しくなると、工員達は召集令状と共に戦地へ、代わりに学徒動員令で何も出来ない少年達が手伝いに来た。

親方と金三は軍の計らいで技術指導と言うかたちで赤紙は来なかった。

東京大空襲の時、工場は被害に逢わなかったが工員達六人全員が戦死した。

 終戦後暫らく仕事も無くぶらぶらしていたが、機械だけは手入れをして何時でも受注出来る準備だけは怠らなかった。

ある日、お世話に成った元軍人山本が尋ねてきた。

話によると山本はある電気メーカーに就職が決まり外注関係の業務についたと言う。

三ノ輪板金は戦時中電工メーカーの下請けをしていた。

その時電工メーカーの人と時々来ては指導してくれていた。

今は家電メーカーの下請け先を探し協力工場として共に歩みたいと、話をもち掛けてくれた。

下請けとして、親会社との条件等の契約は後日に行う事にして承諾した。